オトナ帝国 真の逆襲

傑作との噂には聞いていたので傑作なのだろうと思い今まで未見であった。よい機会だから視聴した。

監督・脚本:原恵一
ひろし:藤原啓治
しんのすけ矢島晶子
みさえ:ならはしみき
ケン:津嘉山正種
チャコ:小林愛

あまりにも凄まじい内容で呆れた(誉め言葉)。苦悩と葛藤の神聖悲劇とでも呼ぶべきか。これだから傑作は始末が悪い。ケンは鷲巣巌。ちょっと吊ってくる。


さて、なんともメリハリの利いた構成だ。テンポよく消極(谷)→積極(山)を繰り返している。

状況 しんちゃんの行動
両親の豹変 傍観
両親の不在・襲撃 大立ち回り
父の覚醒 傍観
計画の阻止 大立ち回り

「未来」、「家族」は大きな主題である。しんちゃんの主体的行動はすべてこのベクトルに向けられている。家族を取り戻すために園児は団結し、未来を取り戻すためしんのすけは疾駆する。
大変結構である。彼が生きるには家族に頼るより他ないのだし、彼の持ち物は未来「しか」ない。故に困難ではあろうとも迷いも葛藤もない。ここにブルースブラザーズばりのアクションシーンは生まれてもドラマが生まれはしない。


このまったく「笑うに笑えない」ギャグアニメが与えた俺への衝撃はなんだろう。


クレヨンしんちゃんを道化と位置づけた場合、異彩を放つのは無論道化の役割を果たしていない「消極」のパートである。
前半部両親の豹変。

20世紀も後30分で終りか

エスタデイワンスモアの「お知らせ」放送を見た両親の変貌、あまりのことに気の利いたツッコミも入れられないしんのすけ。また後半部、地に伏し身体を丸め目を閉じながら涙を流す父に抱きしめられるしんのすけは、やはり何も出来ない。
彼が身動きできない時眼前に現象するのはおとなたちの過去に起因する行動である。過去を数年しか持たない彼がおとなたちの行動を理解できないのは当然といえば当然。それよりも興味深いのは、そういったおとなの常識はずれの行動にツッコミすら行えない点だ。理解は出来ないが感じ取っている、としか言いようがない。それが神聖で神妙であり茶化しようのない真剣な真実であることを。
彼等はおとなになることを選択したのではなくただ時は過ぎ去り訳も分からず「子供ではなくなった」だけであることを。それを知ってしまったことを。
人生に助走はなく常に本番なのだから「ここから本番、おとなです」という線引き・瞬間は存在しない。しかしこどもの時代を生きるときにはこどものハートでしか生きることが出来ない。
おとなのこころは何者かに配慮し我慢するこころである。何者かのために悶絶するような足の匂いになるまで歩くことである。父ひろしは本来あり得ない、おとなの意識とこころで人生を生きなおす「体験」をしてしまった。何者にも配慮せず我慢しないこころを思い出すことを余儀なくされた。
ひろしは二度泣く。一度目はしんのすけのアクションに誘発されたものだが、二度目タワーに向かって三輪車運転時は自発的に涙を流す。

ッキショウ、何だってここはこんなに懐かしいんだ

それは「いつのまにか」失われた。時は過ぎ行く。右から左へ。納得のいかない不条理だ。にんげんはこれに耐えることが出来ないので社会的文化的儀式を経て大人になる瞬間を仮想する仕組みを作り上げている。
その仮想が破れ真実がむき出しになった時、彼は自分自身のために涙を流した。これはいつのまにか流さなくなった、そして恐らく自分に対して流す最後の涙である。
あとは彼の背中を見るものが引き継げばよい。彼の残りの人生はそのためにある。


匂いで膨大な過去を思い出す。彼は「失われた時を求めて」もいないのに与えられ、捨て去った。それは

頭がおかしくなりそうなんだよ

というぎりぎりのところだ。
わかるかな。わかんねえだろうなあ。