ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 感想その3

ネタバレがないとでも思ってるの?バカなの?

あれ以来観に行ってないのでほんとは感想ではありません。
最近飲み屋で破について語り合い、
今やネットのあちこちで言及されている感想/批評を2,3読んだ結果
思うところあったので書く。
雑記のたぐいである。


他人の感想に触れることの何が良いって、
自分からはどうあがいても切らない捨て牌を目の当たりにし
衝撃を受けることによって俺が
意識の前、素朴に前提している超・前提をはっきり認識する
自分を知るというやつか、その複雑な思いに苦笑する感覚が得られること。
ああ気持ちいい。

真希波・マリ・イラストリアスは人間である、使徒類ではない

金剛番長によると動物の分類はすなわち、
ほ乳類・両生類・鳥類・ハ虫類・魚類に金剛類で6種類*1なわけだが。
使徒はAngelと表記され、まぁとりあえず動いているから動物界、ぱっと見6種とどこにも似てる感じがしないので
使徒類ってことでいいのかなと思う。
カヲルくんは人そっくりだけど哺乳しそうにないし。
で、真希波である。
飲み屋で恰幅のいい方から「真希波はカヲルくんと同類(=使徒)か否か?」と問われて
俺は絶句した。絶句する自分を発見して初めて、
彼女を人間と信じて疑わなかった自分を知った。
なぜだなぜそう前提したその根拠はどこだと脳内を引っかき回して出てきたのがこれである。

自分の都合に大人を巻き込むのは気後れするなぁ

俺にとって使徒とはひとつの答え、完成型、スタイルである。
何の?生物としての。

大人と子供

上の真希波の台詞は、加持さんの台詞*2の対句として口に上る。
大人を巻き込むのは、とつぶやく少女は、確認するが子供である。
自他共に認める子供である。
未完成な子供は使徒ではあり得ない。


大人と子供の対比を考えた場合、本作品の中で明確に言及されているシーンは
例の大暴れした後のシンジくんと碇指令の会話である。

シンジ、大人になれ

僕には、何が大人なのかよく分かりません

ここについては既に一言書いてあるが
真希波を考えるためにもうすこし言葉を足す。
大人とはなんですか、大人と子供の違いはなんですかと問われれば
何者かに配慮し我慢するこころである。と答える。
同じ人間に対し、その人間の振る舞いを通して相手の心情に
気を配り推測し推し量り気遣い見積もり感情移入し察知し思いやり想像し
考え考え考え
その推論結果をおのれの行動にフィードバックさせる/させない人間。
彼を大人と呼ぶ。

シンジとアムロ エヴァガンダム

碇シンジアムロ・レイの類似性は、唖然とするほどだ。
あまりにも言動が一致するあまり、シンジ君はアムロのパロディなのではないかと勘違いしかねない。
庵野秀明の「意図的な」パロディでないのは、玄人だけがにやりとするあからさまなサインがない点、この腐れ14才を目にしたときに真っ先に浮かぶのが監督のひげ面である点からあきらかである。
ところでだからこそ問うが シンジとアムロの決定的な違いは何か。
シンジにはランバ・ラルシャア・アズナブルがいない点だ。


使徒とは絶望的な子供である。
柔らかさを失い凝り固まった、子供にあってはならない属性を背負った
不気味な子供たちである。
故に使徒との戦闘は加減のない子供の喧嘩である。
未だ幼年期の人類が相手を殺すまで争っているのである。
ガキどもが彼らにとってとても大切な子供たちの宝物*3をめぐって攻め、守る。
ゲームの参加チケット、チップはこの先の人生の権利・生存権である。
そのお宝に、生死を賭ける価値があることを保証するわけではない。
そのお宝が手に入るなら死んでもいいと本人たちが思い詰めている。
その目的のため、相手の子供の心情に
気を配らず推測せず推し量らず気遣わず見積もらず感情移入せず察知せず思いやらず想像せず
考えない考えない考えない
相手が目に映っていながら「見て」いない人間。
碇シンジがコミュニケーションをとっている使徒とはそういう存在者である。

庵野秀明、大人になれ

庵野監督が
再作成にいたるまでの12年間360度、
自分自身の内なる声自問自答も含めてあらゆる関係者から
あまた受け取ったメッセージを彼なりにまとめると
たぶんあの台詞になるのではないかと思う。
作家の血の叫びである。
「俺は再びあの物語を語ってよい」と気づくきっかけが、愛憎なかばする富野御大の新約Zである点*4が実に皮肉である。
さて以上を踏まえるとエヴァンゲリオンの作中、ひとりだけ大人がいることに気がつく。
渚カヲルである。

好きってことさ

夕日の土手でいつまでも殴り合い「なかなかやるな」「お前もな」*5とならなきゃいけなかった永遠のライバル。
シンジの赤い彗星は登場が遅すぎた。
それはおそらく計算があったのだと思う、シンジを「成長させない」操作。
大人になられては困るのである。
使徒との戦闘が馬鹿馬鹿しいことに気がついてしまうのだから。
もうすこし言葉を言い換えると、
彼にとって巨大で強大なお父さんという存在・碇ゲンドウのちいささに気がついてしまうからだ。
あれ、親父ってこんなに小さかったけ、あなたもいろいろあったんだな、と。


渚カヲルは剥き出さない。
感情を思いの丈を剥き出さない。
だが、おそらくその準備がある。*6
Qでは全身全霊悪魔のような形相の渚カヲル碇シンジの殴り合いがあるはずである。
そうでなくてはいけない*7
わるいが
やっぱり
男の子がダンスィが全存在をかけて撃ち合う理由は”異性”ではない。
同格*8との戦闘、これに勝る快楽などありはしないのだ。*9


いやしかしと何処かから声がかかる
全身全霊の殴り合いなら絶望的な子供である使徒と何度も繰り広げられたではないか。
あれは全身の殴り合いではあるが、全霊をかけていない。
そこには敬意がないからである。


敬意があるから拳は止まる。
再戦が可能である。
悔しさが涙が可能となる。
強くなれる。


「相手を認める」*10

渚カヲルの事情 使徒のゆびきり

真希波は自他共に認める子供である。
だが気後れを感じ肩をすくめてみせる大人である。
絶望的な子供たち使徒の中唯一カヲルくんが大人であることが
なぜ可能かというと、
みんなが争っているお宝に彼だけが興味ないからだ。

生と死は僕にとって等価値なんだ

子供がのちの生を掛けてまで手に入れたいものといえば、カレルレンの言葉を思い出すまでもなく
「可能性」以外にない。
今の自分を変えるきっかけだ。
”きっとじぶんはなにかあればいまのじぶんではないよりよいじぶんになれるにちがいない”
”それは外部にあり海の向こうにあり他者によってもたらされ、「手に入れること」が出来る”
これを読んでやさしい目をしたあなた、あなたは立派な大人である。
死を超越したカヲルくんは可能性がゼロに無になる事態に無関係であり
このゲームから降りていることを意味する。
その彼はなぜ参入するのか。ATフィールドをといて指先をふれあわすことを許可したか。
ガラスのように繊細だね、特に君の心は。ということになるのだろうが、もちろんこれは嘘である。
渚カヲル碇シンジに嫉妬し羨望を持っている。
渚カヲルは自分自身を承認していない。
自分自身が好きではない。心底。魂のそこから。
使徒と成るほど、人間を外れるほど自分が好きではない。
最後の使徒とは、
なんともあっけないが、他でもない
自分自身である。*11

真希波は人間である

真希波は自分自身が大好きである。
彼女はそのずうずうしさにより人間である。
白血球に対して木星ひっさげて銀河中心殴り込み艦隊を送り込み
我々が宇宙のがん細胞に過ぎないとしてもそれを承知で
それがなにか?と胸を張る

俺を誰だと思ってやがる!

自分の墓穴くらい自分で掘れなくてどうする
自分で掘るのが恐いのか?
いったい誰に掘ってもらうつもりだ

三歩進んで二歩下がっても、掘り抜いたなら俺の勝ちってか。
それはにんげんと呼ばれる。
真希波・マリ・イラストリアスは人間である。
人間的な、あまりにも人間的な。
賢さと愚かさを理性と野生をあわせもち
動物−神様の間の綱渡りを見事にこなす
よく分からんときはとりあえずぶっ倒してから考える*12
完全な人間、はじめ人間である。すなわち


イブに他ならない。


そういうことである。

*1:Wikipediaによると「○○類」は慣用語であり、学術的には「綱」の階層らしい。勉強になった

*2:「大人の都合に子供を巻き込むのは気が引けるな」

*3:えてしてそれが部外者にとってはなんの価値もないことは、あなたもよくよく身に覚えがあることだと思う

*4:都市伝説として聞いたことがあるが、ソースあるんだっけこれ?

*5:俺の人生にこういう場面はない。体験者いるのか?w

*6:ここが酸いも甘いもかみ分けた冬月先生との違いである。だからかれは老人なのだ

*7:主に俺が。

*8:たまたまそれが異性であることは充分にあり得る

*9:仕事とあたし、どっちが大事なの?! 会社社会が男性社会なのはなぜだと思う?

*10:我々ハンターはたとえにわかである俺であってもモンスターに敬意を払っている。故に俺はチートを嫌悪する。これが狩魂である。

*11:「でも、好きになれるかもしれない」「「ゲド!」」

*12:Qでは是非彼女の宮崎食いを希望する「血が足りねぇじゃんじゃんもってこい〜」