シン・ゴジラ 感想

以下、ネタばれ要素あり。未鑑賞者注意




現在

作家として、庵野秀明監督は自身の磨き上げた表現方法を駆使した。
異様なアングルであり効果的な音楽であり高速な口調でありテンポの良い会話であり
シリアスな法的根拠でありリアルな軍事行動でありコミカルで奇抜な凍結作戦であり
ミステリアスな春と修羅であり岡本喜八でありマイスなヤマタノオロチと製鉄と人類の福音などである。
過剰な情報の奔流のなか、異常な事態に真っ当に取り組み、真っ当な取り組みが異状へ対処を実施する。


お話を見終わり現実に立ち返った我々は東日本大震災に想いを致し原子力と科学技術に思いを馳せる。
政治に外交に軍事に防災に。
人類の罪と罰に国家の是と非に人の正と誤に。


あるいは祈りに。

過去

俺は昔新世紀エヴァンゲリオンというTVアニメを観た。大層面白かった。
それからのちエヴァンゲリオンの新劇場版最新作Qまで観た俺は作成者庵野秀明の評価を下方修正した。
また俺は他映画上映前の予告編群の中にシン・ゴジラを見つけた。監督は庵野秀明だという。数年前、特撮博物館で観た巨神兵東京に現わると同じような気配を感じ、俺は微妙な気持ちになった。俺はシン・ゴジラにさほど興味を持たなかった。


ある日一目置く後輩がシン・ゴジラはクソ傑作だと評した。俺はほうと思った。
俺は嫁さんからシン・ゴジラに関するTwitterの反応を教えてもらった。会議会議&会議映画とのこと。俺ははっとし次の日映画館に向かった。


上映が終わり俺は劇場を出た。俺は各ツールで各方面に情報を発信した。傑作である、すぐ観に行くべし。

未来

歌手の評価はおおまかにいって歌唱力と持ち歌で構成される。俺は庵野秀明の歌唱力、庵野節にしびれた。
この感動はライブコンサートのそれであり、持ち歌のメッセージ性ではない。*1
一回性であり体験である。共有するほかは無く伝達は困難だ。


そもそも今回の作品はカバー曲であり、アンタッチャブルな決まり事が存在する。
ゴジラが破壊の限りを尽くす事、政府が右往左往する事、警察予備隊自衛隊の攻撃が失敗する事、最終的にゴジラを何とか無力化する事。
忠臣蔵と同じ位、アレンジは出来ても筋は変えられない。様式美。討ち入りの日雪が降るのをご都合主義というだろうか。


言うまでもない。 ラブコメはハッピーエンドに決まっている。日本はゴジラを何とかし容赦なく訪れる明日に立ち向かうに決まっている。*2
ニッポンとは文治主義をベースにした行政による意思決定・遂行システムである。それは会議と手続きによって立法され行政される。
間違っても気持ち悪い・ゴジラを殺せというデモで為されるものではない。個人のヒロイズムで収束しない。
社会と組織は完璧では無いが最善を尽くそうとする。


あゝ、しかし
怪獣は東京に進行する。
怪獣は現実に浸攻する。
怪獣は多摩川を越えATフィールドを越え優しさと夢の源へやって来る。

ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ゴジラがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない


線路は続くよ、どこまでも。

*1:そのため俺は思う。歌詞の政治性のみを云々し映画全体の評価を下す感想の類いは価値が無いと。それは音と光の総合芸術である「映画」を観ていない。キーワードとマッチング作業する自動判定なら彼彼女は思考する人間ではない、ボットである。

*2:3月11日が終わっても、12日は13日は訪れた。拗ねてもまってはくれない。