家守綺譚:梨木香歩

家守綺譚 (新潮文庫)

家守綺譚 (新潮文庫)

あらすじ。時は明治あたり。場所は近畿?あたり。主人公は三文文士。彼は縁あって亡友の実家に家守として住まうことになった。季節は春。サルスベリに惚れられる。掛け軸から亡友がやって来る。犬を飼い始める。いろいろあって次の春。

――また来るよ。


読んでいる間中、幸せな気持ちと泣き出しそうな気持ちがたゆたっていた。素晴らしい。
文人風の文体模写がぴたりとはまりこまごまとした生活や風景の描写に豊かな情感が溢れている。
起る出来事も幻想的かつ現実的で、魔術めいたものではなく、なにやら草木が芽生えるように自然になんとなく生起する。よくこんな魔空空間を平成の世に現象出来るものだ*1。感嘆。


梨木香歩は邪悪な作家(誉め言葉)で、にんげんの悪意と悪意の無い悪意を熟知し自在に描いてみせる。それがどうしようもなく「ある」ことを知っており誤魔化すことが無い。そうして物語の中心になる人物は悪意無理解を浴びて翻弄される。結果人物は強く勁い在り方を身に付ける。


本作品の主人公はそういった強さとは一見無縁な肝の据わってない小人物だ。
凡庸なしかし掴み所の無い主人公の心中、考え方は珍しいような納得がいくような。絶妙な人物造形。腺病質な訳ではないが(むしろ鈍感)世事世俗を疎む気質で間抜けなお人好し、頼りにならないことこのうえない。逆に才気煥発超然とし多方面に通暁する亡友高堂との遣り取りで、彼はますます垢抜けなさが際立ってしまう。いかにも芯の無いぐにゃりとした御仁だ。ところが時折彼が見せる天然の優しさや土俵際板ばさみの足掻きのなかに、必死に輝く尊いものが垣間見える。
ラストのやりとり、低く語りかける友人の声に複雑な思いを感じたのは気のせいではあるまい。


俺は植物といった自然風物にもまったくこころ揺れない貧しいにんげんで、現代日本の環境は利便性を捨て去りでもしなければ豊かな自然など求めようも無い。作中の名詞の相当が姿を思い描けないくらい知らないものばかりで自分に辟易した。確かに明治の世界は過ぎ去った。懐古趣味すら持ちようが無い。「こんな生活がしてみたい」などという憧れは皆無だ。だがしかしそれにしても、このころに比べて日本はずいぶん明確ではっきりした国になってしまったと思う。ただそれを残念に思う。
もっともっとこんな話が書かれて読めたらいいなと、読んでいたいなと思いました。

*1:正直、同じような感触の「漫画」ならいくつか思い出せる。しかし文章の力だけでそれが行える幽玄な芸の持ち主はちょっと思い出せない。少なくとも現役では