Vol.3.5感想 バナナフィッシュにうってつけだった日

モンキー ビジネス 2008 Fall vol.3.5 ナイン・ストーリーズ号

モンキー ビジネス 2008 Fall vol.3.5 ナイン・ストーリーズ号

バナナフィッシュにうってつけだった日

  • 作者川上未映子
  • 概要。老女はあの夏の日を思い出す。

感想。素晴らしい。
何が素晴らしいと言って、あのバナナフィッシュ日和という不可解な小説にどう肉薄すべきか、どのように補助線を引けば良いかを具体的に描いて見せたのだ
川上さんが取った「やり方」は幼女シビルの内面を充溢させるというものだった
なぜ彼女かというと 作品中で、バナナフィッシュ日和の化身ともいうべき謎、すなわちシーモア・グラースその人と、最も密に関わった人物だからであろう
そう謎!シーモア・グラースは
この会話と仕草の描写に紙面を割き内面描写がほとんどない小説に於いて
発する言葉も行動も「なにもかも」が、拠り所のない筋の通らない孤高の男であり
つまりは
バナナフィッシュ日和なのであり
川上さんはこれに、彼に挑んだのだ
「私はこうやった」
うむ 見事である。
彼女の歌は憧れと寂しさ、喜びと失意のリズムが刻まれたまさに彼女にしか出来ない「やり方」としてある。


しかしこれは彼女の歌。


金髪の老女は日本人であるし シーモアサリンジャーである。
気持ちを重ねた喜びも軽い失意も川上さんのもの。


俺の歌ではない。


嫁さんは言った。
幼女はヒマを、時間を持て余しており
シーモア・グラースは、何かを、持て余していた。*1
(両者の間に特別な了解が一瞬閃いたのはこの点で比較的「似たもの同士」だったからであろう。*2
シーモアは何を持て余していたのか それははっきりとは分からないが
ホテルに来るまでのいくつかの奇行、いつ死ぬかと尋ねたり木に過剰に反応したりは
その持て余しに対してあれこれ能動的に「試した」数々であり
ここに到着するころには 一通り思い付く限りの解消法をやりつくしてしまったのではないか
そして
ビーチから部屋に戻り
妻を一瞥した時
ふと まだ試していないことを思い付き
あたかも隣の部屋に移動するかのように
その思い付きを
「ちょっと試してみた」のではないか*3


俺は嫁さんの説に唸ってしまった
俺は男性だからかも知れないが、この小説の登場人物で最も興味を持ったのは
シーモアの妻でも電話の向こうのその母親でも幼女でもその母親でもなく
シーモア・グラースだったはずだ
なのに俺は彼が理解できず
故に釈然としない気持ちを抱えて危うくこの小説を通り過ぎる寸前であった。
しかし、バナナフィッシュ日和とはつまり
シーモア・グラースは何者だったのか という一点に尽きることを
こうして俺はふたりの女性から嫌と言うほど教えられた
大疑団*4とはまさに彼女達のこと
うちのめされた俺はその全力の輝きにただただ敬礼するのみである
良いものを読みました。

*1:あるいは不調をきたしていた

*2:これは俺の解釈

*3:これは嫁さんの論考の一部らしい。まだまだ続いているようだ

*4:西洋の男曰く「問う。何故彼は自殺したか?」