腐女子ロード(乙女ロード)はなぜ池袋にあるのか+α
メモというか考え中思いつきの羅列
全体的に根拠裏づけはなく印象のみ
きっかけは嫁さんとの会話
- ジュンク堂では同人誌委託販売もしているらしい
- となるとそこに版権モノはあるのかな?普通に考えるとないだろう。あったらすごい。
- なぜなら出版社は無許可二次使用を公認するわけにはいかないし、仮に黙認しても、相手が天下のジュンク堂池袋であれば事実上「公認」だから*1
- とくに根拠はないが、オタクのなかでも漫画を中心とした紙媒体系は数年前から現在にかけて池袋が最強ではないかと感じている
- 量はともかくディープさで
- もちろんアキバ始め他都市もすごいのだが、それらの町で漫画が、様々なオタカルチャー*2の「一分野」にすぎないのに対して
- なぜか池袋は漫画オンリー。
- これはもう事実として仮定し前提する。なぜそうなったのかについては踏み込まない。地域史・経済学的研究が必要になるからである。
そして。腐女子ロード(乙女ロード)はなぜ池袋にあるのか
- 男の子系オタク
- 考えてみるとキモオタ男の子系は
- 映像志向の第一世代。主食がアニメ/特撮/映画の「我々は受け取り記憶する」
- 活字志向の第二世代。主食がアニメ/漫画/評論の「我々は解釈し語る」
- 属性志向の第三世代。主食が萌え/フィギュア/ギャルゲの「我々は欲望し消費する」
- という風に*3、根本的かつ本質的な「断絶」があるのに
- キモオタ女の子系は、一貫して主流が紙ベースである。念頭にあるのはアニパロ→腐女子の流れ
- つまり腐女子は女の子系オタク「全体」ではない。萌え萌え言ってるのが男の子系オタク「全体」ではないように。
- 腐女子の主食はBLである。BLとは関係性である。
- 彼女等の高度に発達した801器官は、あらゆるものをカップリングする
- 繰り返す。あらゆるものを、だ。
- それで構わないのである。それが成立するのである。おとこのこ同士が愛し合えばその関係性さえあればそこにエネルギーが発生するのだから
- 神話は枠組みと構造こそが主であり、時代や人物などは代替可能であると考えられている
- それに対応して現在注目度高い男の子系オタク第三世代は、あらゆるものに「属性」を付与し萌え化する
男の子は付与し、女の子は落とし込む*4
- 男の子は様々な属性を付与する
- 萌えが、わび・さびとならんでわびさびもえと言われるのはいずれも、ふたたび我々の中に「取り込み直す」ための翻訳(というかコンバート)技術だからである
- その観点からだと、一時期乱立したやる夫で学ぶシリーズも広義の萌え化といえるだろう。
- つまりあれだ。男の子にとって女性とは、通常「取り込めない」存在者であるということ
- 萌え属性は物語を生み出しうるが、「必ずしも必要としていない」
- 物語を剥ぎ取られ瞬間を切り取った静的な「フィギュア」を欲望することがだから可能なのである。
- 萌えを持たぬものにはたとえオタクであろうともフィギュア「だけはどうしても」理解できないのは
- これが物語をもたないからである*5
腐女子ロード(乙女ロード)は、「秋葉原でなくてよい」のだ。
- 女の子はある関係性のなかに落とし込む
- 理解は不要である。台詞は決まっている。役割も内容も結末さえも。
- すべてを食らい尽くす神話的魔術
- 彼女達の萌えは関係性に対する萌えであり、男の子のそれとは明確に異なる。
- この点の混同はさまざまな軋轢と混乱を生んだと思う
- そして関係性には励起する場が必須である。すなわちなんらかの「物語・時間の流れ」が
- なんでも構わないのだおはなしの内容は。でも、欠かすことはできないのだ
- だから腐女子に、フィギュアは存在しない
- 点では成り立たない。彼女達には面が必要なのである。
- たとえば紙のような
だから腐女子ロード(乙女ロード)は池袋にある
- そうなると、おそらく池袋に自然発生したのは、単なる消去法と慣習である。
- 他の文化都市にくらべて、池袋は男の子系オタクカルチャーの伝播が遅かったのではないかと推測する
- なかでも、もっとも女の子にとって異質なフィギュア系が。
- 「火のない所に煙を立たす」と評される腐女子はその起源がそもそも二次創作であった。
- だってBL展開のオリジナルアニメや漫画なんてない(なかった)んだもん
- 二次創作はいうまでもなく主に漫画次いで小説、いずれも紙媒体である。
- 複雑・高度・精緻である必要はないのだ
- ついには算盤や将棋のように脳内で自家発電可能になる801嬢にとっては。
- いやむしろ狙った「養殖物」を男の子以上に嫌悪する
- 電脳へ造形へ、狂ったように向上を求める男の子と違い
- 紙とペンさえあればよい。あと無限の想像力。
- そして求めるのはノイズのすくない場所
- それが池袋だったのではないか
以下別の雑感
ラノベは「深い」 ケータイ小説は「泣ける」
- 男の子は研鑽の末、萌え属性付与技術を編み出す。
- ライトノベルでは人物の「特徴」「性質」が主であり、それをより際立たせるためにこそ事件が発生する
- 人物偏重
- 外見の特徴の重ねあわせを通して、空虚な内面の「充溢」と「隠蔽」を謀る男の子
- これに対して女の子は「事件(イベント)」を重視する
- このような文学「形式」で先行しているのはおそらく「ミステリー小説」である
- 「人間が書けていない(笑)」
- だって必要ないんだもん
- 女性における事件への意志
- 冠婚葬祭なかでも「婚」にいたるイベントもちろん劇的なイベントの重視
- ワイドショー的「事件」に対する嗜好
- 事件偏重
- 事件の連続と内面の転回(再起)を通して、ままならぬ外的要因の「自由」と「相対化」を謀る女の子
男「俺は価値を認められたい」
女「あたしは自由になりたい」