(DVD)映画スローターハウス5感想:「ここにあることは、まあ、大体そのとおり起こった。」

スローターハウス5 [DVD]

スローターハウス5 [DVD]

監督:ジョージ・ロイ・ヒル
音楽:グレン・グールド
原作:カート・ヴォネガット・Jr


ビリー・ピルグリム:マイケル・サックス
ラザロ:ロン・リーブマン
ダービー:ユージン・ロッシュ

あらすじ。主人公ビリー・ピルグリムはタイプライターに向かっている。ドイツで捕虜となる。結婚し犬と暮らす。ラザロは主人公を目の敵にしダービーと出会う。結婚記念日にダイヤを贈る。息子がマスをかいているのを見つける。米軍捕虜はドレスデンに移送される。ドレスデンは美しい街であった。主人公は飛行機事故でひとり生き残る。墜落の報を聞いた妻は半狂乱、キャデラックで病院へ暴走し死亡。ビリーは一命を取り留める。妻にキャデラックをプレゼントする。彼らが収容されたのは屠殺場5号(スローターハウス・5)。ドレスデン爆撃。防空壕。娘夫婦が同居を申し出るが断る。ぐれてた息子が立派になった。主人公はトラルファマドール星へ連れて行かれる。女優と結合する。米軍捕虜は爆撃後の街の片付けに駆り出される。ダービーが処刑される。ピルグリムは凶弾に倒れ死ぬ。ピルグリムソ連兵に手を振る。ピルグリムと女優の間に赤ちゃんが生まれる。かわいい赤ちゃん。トラルファマドール星人が祝福する。


感想。間違いなく世界は人間は狂っている。それを描ききったこの映画はつまり傑作である。




”あるジャンルが芸術の域に達した”、とどう判定するのか。
ひとつの基準は その作品「そのもの」でしか作品を語れなくなった時だろう
絵画も 音楽も 彫刻も 詩も
栄光なき天才たちの言葉を借りれば「それらを言葉で表現しようとする者があれば彼は愚か者と呼ばれるだろう」*1、そういう成熟したジャンルである。
小説もそうだし
もちろん映画も。


本作品は同名小説の映画化である
小説スローターハウス5には言語の芸術にしか出来ない美しさがある
「美しいってことはひとを打つって事です、そうでしょう?」
映画スローターハウス5の素晴らしい点は
それらをばっさり切り落とし*2
映画という光と音の芸術にしか出来ない美しさを表現していることだ


ジョージ・ロイ・ヒル監督が描き出した
ビリーの痙攣的人生に影を落とす大不条理
バロックの都・ドレスデンの映像にバロックの王バッハのアリアを配し
歪んだ真珠の名に恥じぬ感情の劇的表現。
そして
その結末に用意された花火と歓声


DVDパッケージ裏によるとヴォネガットはこの映画を
小説よりよいと評したそうだ。
小説のビリーはつぶやく。ヴォネガットはやさしい。ヴォネガットは弱い。
映画のビリーは食ってかかる。ジョージ・ロイ・ヒルは強く冷徹だ。
これは戦争という、氷河期のようにどうすることもできないテーマを前にした際の
ふたりの偉大な創作者の個性の違いである。
ヴォネガットの発言は監督に対するある種のあこがれではないかと思う。


原作に則りながら 原作と異なる解釈をし 原作に比肩する作品に仕上げる。
俺は小説のヴォネガットの解釈を好むものであるが
この映画が傑作であることは疑いない。

殺戮について何かいうことがあるとすれば、それはこんなものか。
「プーティーウィッ?」

ヴォネガットは鳥になった。鳥にならざるを得なかった。
彼はそうしなければ耐えられなかったのかもしれない
そういうものであることに。

*1:うろ覚え〜

*2:原作ファンとしてはまさか、「そういうものだ」が一言も出てこないとは思わなかった!!