メカビ感想その14:p58−p60

  • 「萌え」を定義する試み:p58−p60
  • 要約・抜粋
    1. 「萌え」定義の困難さについて
    2. 「萌え」の三つの局面。「個人」「プロダクション(作品作製に与えた影響)」「文化」。
    3. 困難さは三局面のひとつ「個人の局面」に含まれるどこまでも主観である「個人の趣味趣向」に起因する。これを考察から省く。
    4. 「個人の局面」の「趣味趣向」以外について。循環構造による熱狂の高まりの仕組み考察。
    5. 「属性」について。「特徴的な外見、行動、性格などに付随する一群のコンテキスト」、「コンテキストを類型化して把握しやすくするためのラベル」と考える。
    6. プロダクションの局面、作品作製側に与えた影響について。空っぽになる美少女たち。
    7. 作製者側が「属性」の機能に気がつく→属性の組み合わせで容易にキャラクターが作れる→作品量産→魅力の外部依存の進行
    8. 魅力をユーザー(の熱狂する脳内)に依存する「空っぽ」のキャラクターが横行する
    9. 批判的視点が失われアニメゲームコミックが衰退していく可能性が恐ろしい
    10. 「私は「萌え」とその他のアニメ・ゲーム・コミックが好きです。死ぬほど好きです」
    11. だからこそそれらを「文化」ではなく「娯楽」として捉えたい、更なる「娯楽作品」を求めたい。
    12. 「そのためにこれらの概念とどう付き合っていくのがよいか、不断の内省を行ってこそ私の願望は満たされるものと信じる。」

静かな口調。冷静な分析と論の展開。信仰告白
お美事でございます。
萌え回路のヒートアップの仕組みは興味深い。また「属性」「外部依存」のキーワード。
森永卓郎氏はメイド喫茶は「ロールプレイ」つまり「役割」こそが重要であるとした。
養老孟司氏は漫画、アニメを教会・劇場形式=真っ赤なウソ・虚構と説明する。
それに対して想田充氏は安易な「属性」多重体に警鐘を鳴らす。
うむ。
形から入り後に内実をはかる儒家的方法論は確かにある。これは「儀礼化」「形骸化」(文字通りかたちだけのむくろ)を招きやすい。ラベルの独り歩きだ。
しかし内部の充実に重点を置き外部を軽視、無視する方法論は多くの理解を得難く、内実が「証明」できないためやはり形骸化しやすい(「俺は悟りを開いた」という主張に根本的反論が不可能)。
言い得ざれば棒三十、言い得ても棒三十。如何に如何に!
不断の内省。愛するがゆえの批判的視点。
これは生きることであり生きる意味といっていい。
あなたに神のお恵みを。