メカビ感想その14:p58−p60
- 「萌え」を定義する試み:p58−p60
- p58−p60.[萌学協会]想田充
- p58.以降本文は縦書き四段組
- 同左下隅、「萌えによる判断停止」の図1
- p59.二段三段目右、「萌え」の基本的用法の表1
- 同左下隅、「萌え」を個人の局面で図式化した図2
- 「原稿の(図2)には改訂版が存在します。」とのこと→画像直リンクhttp://www.geocities.jp/mhpcsouda/mecabi-p59-g2.JPG
- p60.p59四段目本文後方の言葉に関する注釈
- 補足。メカビ--オタク情報総合誌編集室ブログ: お詫びと訂正で図2に訂正、想田充プロフィール
- 要約・抜粋
- 「萌え」定義の困難さについて
- 「萌え」の三つの局面。「個人」「プロダクション(作品作製に与えた影響)」「文化」。
- 困難さは三局面のひとつ「個人の局面」に含まれるどこまでも主観である「個人の趣味趣向」に起因する。これを考察から省く。
- 「個人の局面」の「趣味趣向」以外について。循環構造による熱狂の高まりの仕組み考察。
- 「属性」について。「特徴的な外見、行動、性格などに付随する一群のコンテキスト」、「コンテキストを類型化して把握しやすくするためのラベル」と考える。
- プロダクションの局面、作品作製側に与えた影響について。空っぽになる美少女たち。
- 作製者側が「属性」の機能に気がつく→属性の組み合わせで容易にキャラクターが作れる→作品量産→魅力の外部依存の進行
- 魅力をユーザー(の熱狂する脳内)に依存する「空っぽ」のキャラクターが横行する
- 批判的視点が失われアニメゲームコミックが衰退していく可能性が恐ろしい
- 「私は「萌え」とその他のアニメ・ゲーム・コミックが好きです。死ぬほど好きです」
- だからこそそれらを「文化」ではなく「娯楽」として捉えたい、更なる「娯楽作品」を求めたい。
- 「そのためにこれらの概念とどう付き合っていくのがよいか、不断の内省を行ってこそ私の願望は満たされるものと信じる。」
静かな口調。冷静な分析と論の展開。信仰告白。
お美事でございます。
萌え回路のヒートアップの仕組みは興味深い。また「属性」「外部依存」のキーワード。
森永卓郎氏はメイド喫茶は「ロールプレイ」つまり「役割」こそが重要であるとした。
養老孟司氏は漫画、アニメを教会・劇場形式=真っ赤なウソ・虚構と説明する。
それに対して想田充氏は安易な「属性」多重体に警鐘を鳴らす。
うむ。
形から入り後に内実をはかる儒家的方法論は確かにある。これは「儀礼化」「形骸化」(文字通りかたちだけのむくろ)を招きやすい。ラベルの独り歩きだ。
しかし内部の充実に重点を置き外部を軽視、無視する方法論は多くの理解を得難く、内実が「証明」できないためやはり形骸化しやすい(「俺は悟りを開いた」という主張に根本的反論が不可能)。
言い得ざれば棒三十、言い得ても棒三十。如何に如何に!
不断の内省。愛するがゆえの批判的視点。
これは生きることであり生きる意味といっていい。
あなたに神のお恵みを。