地震 記録

金曜日15:00前〜18:00

始めは弱く徐々に強い横揺れ。長い時間。体感だと1分以上? その後もう一度今度は突き上げるような縦揺れ。
蛍光灯がちらつき天井からみしと音が聞こえたのを覚えている。さいわいものの倒壊などはなかったが皆落ち着かない気持ち。アナウンスが流れ強い地震があったことを告げる。16:00前、任意避難の指示。会社によっては帰宅の指示もあった模様、ビル内ではヘルメット被って帰宅につく方々が外に出ていた。
この時点でauのcメールは遅いながらも送受信できた。携帯メールは遅延がひどく届いたのは数時間後なんていうのがざら。某iPhoneは多くいる周囲のユーザーによると通話・メールとも一切出来なかったようである。詳細不明。

金曜日 18:00〜19:00

地震が東北中心であったことがこのころにはわかっている。都内が震度5前後であったことも。
当然のように交通網が全マヒしていることが発表されていた。家が近いものは何人か出発している。まだぎりぎり日は落ちていないころ、自転車を求めもうひとりと会社を発つ。
道路は車で大渋滞。まったく進まない状況。歩道も、方角によっては相当の混み具合だった。祭りの人混みレベル。
半蔵門方面で調査済みの自転車屋をのぞいたがすべて売り切れとのこと。俺ともうひとりはあらかじめ決めておいたようにビルに戻ることにし、戻る。
途中俺はコンビニに立ち寄り、徹夜に備えて食料タバコの仕入れを試みる。パンおにぎり類は全滅。残っていたゼリーやヨーグルトなどとタバコを買う。列がそれほどでもないのはもう買うものが多くないからだと思われる。
会社に戻る前に神社で一服。自販機を見ると500ミリリットルの水はすべて売り切れ。500ミリリットルのお茶を購入しすこし食べる。すでに食欲があまり無かった。ビルに帰り着いたころにはあたりは真っ暗。玄関で数人の外出組と会う。歩いて帰ると言う。危険ではないかと問うと大丈夫といって出て行った。

金曜日19:00〜土曜日8:00

オフィスに戻り今日はここを動かないことに決める。皆にあいさつをし各人の進退を確認して休息を取りテレビで情報を得る。嫁さんに電話を掛ける。何度もメールのやりとりをしていたのでお互い無事なのはわかっている。つながるかどうか不安だったが果たしてつながった。声を聞きふたりで無事を喜びあう。地震直後の状況を交換し電話を切る。次に実家に電話を掛ける。無事を伝え会社に泊まるから安全と伝える。会社支給の乾パンなどかじりつつネットで情報収集。個人携帯で思いつく限りのblog・SNSGmailなどで俺の無事を発信し、皆の情報を募る。何人かは即座に反応があり無事を知らせてくれた。携帯メールには反応がない。前述のように遅延していた模様。夜になって電車が一部動く情報が入ってくる。俺は駅の混雑などを勘案して翌日まで移動しないことを改めて決断する。何人かは移動を決めビルを出て行った。
土曜にはいり1:00前後になって、夕方頃のメールを受信し始める。皆無事のようである。弱めの余震が続く中仮眠を取る。
都内の電車地下鉄は夜通しの運転をするとのことで、さらに何人か帰路についた。
夜が明けて電車がだいたい復旧したということで、家の最寄り駅まで帰れることが判明した。駅の混雑を考えて8時頃まで待機しビルを出る。

土曜日8:00〜11:00以降

携帯の充電、水の補給などを済ませ駅に向かう。稼働しているファーストフード店を見つけ朝食をとり駅に到着する。すでに混雑はなく、下りの地下鉄に座り乗り換え駅に下車。ちなみに横浜方面、東京駅は8:00、9:00時点でも相当の混雑で乗車が難しい状態だった模様。
乗り換え駅にて、いつもの経路の電車が極めて輸送力が落ちていることを知り、急遽遠回りの経路を策定し実行する。
ギャラクシーエクスプレス999の電車ドア開閉音楽が流れる中下車、駅を出てバスに乗り換える。こちらも混雑はない。
最寄り駅前後で嫁さんと合流しすこし買い物をし帰宅。あちこちに無事帰宅を発信し就寝。数時間ほどぐっすり眠る。