帰省2 庭園美術館

これを見ずに日本を語るなと言われたイサムノグチ庭園美術館
ここは三つのステージがある。順々にグループ移動しそれぞれガイドさんが解説したあと自由に見学、のスタイルでした。

1、倉とアトリエ

庭の石はよくわからん。それより柳などが見事過ぎた。聞いてみたらやはり持ち込んで植えたとのこと。推測するにここは倉、石垣、庭と作品、樹木や風景全体がひとつのプロデュースされた作品なのだろう。これは彼が何者かを理解する主キーと思われる。
奥の倉にある作品エナジーヴォイドを一目見て一笑丹田が弛む。いがっぺえ。これは良い巨大。
対になる位置にある真夜中の太陽には思わず渋面し苦々しく「深刻だ」と感じてしまった。
階段下の灯りがよかった。
手前の倉の並んだハンマーがよく、倉の裏手の窓?からみたそれは更によかった

2、武家屋敷

庭と竹林に縁側あたりはなんと立ち入り禁止。屋内も禁止。一体どうしろと。
しかし屋敷の道側の窓から屋内、庭と透かし見たときの調和と言ったら。
屋敷は遠方より解体し運んで再構築したものだそうだ。この土地に根付いたものでも育んだものでもない。いわば完全な人工物であり不自然の産物。
であるにも関わらず極々ナチュラルに全体の風景景色が仕上がっているのはどういうことなのか?
例えば「昔からこの場所にこの建物はあった」と言われたらみじんも疑いはしないだろう。
木に竹を接ぎ、何故か継ぎ目は消え去りしかも確かに美が強調された。
なぜそれが可能なのかさっぱりわからない。ああ分からない。

3、屋外の丘

元は段々畑だったのを盛り土してこのようにした、と解説された。
そこは心地よい空間だった ただそんな感じだった
イサムノグチというじいさんは 何をしたのだ。確かにこの美しさは「作られたもの」だという。
この自然がひとの手によって作られているだって。またまたご冗談を…


当たり前のようにそれらは在り、まったく全体の中に落ち着いているように思われる。
繊細と大胆。浮き上がるような美の強調。
狐につままれたような一時間でした。
誰かあの空間で何が起っているのか教えて下さい。
おわり。