カート・ヴォネガット死去:「行っちゃった」と俺はうつろにいった
ヴォネガットが死んでしまった
ヴォネガットが死んでしまった
ヴォネガットが死んでしまった
嗚呼
くそったれな諸君が大好きだと言ってくれるやさしいおとこはもういない
高校入学直後本屋で「猫のゆりかご」「タイタンの妖女」を購入。
「猫のゆりかご」表紙和田誠。全127章。展開も挿話も一見支離滅裂、発想も用語(ボコノン教!アイス・ナイン!)も独特、なのにトータルで見ると明確なまとまりを持つモザイク的な小説。直線的な小説しか読んだことのなかった俺の驚き如何ばかりか*1。
決定的だったのが「タイタンの妖女」。
俺は。ひとりだった。世界観を分かち合える友がいなかった。得たことがなかったので自分が寂しかったことにすら当時気づいていなかった。ただ黒々とした気分で鬱々としていた。今思えばあれが孤独だと思う。
「タイタンの妖女」は心底共感できる小説だった。
東の島国の小僧が、西のじいさんの書いた小説に感動する。想像できますか?
その体験をした時、どうやら俺は、俺のこころを理解し了解するものが皆無なわけではないことを知ったらしい。
それは見ず知らずの外国人の小説に織り込まれた諸々が俺のことばにならなかった/出来なかった気持ちをたくさん言い当てていた点を鑑みるに否定できない厳然たる事実であった。
俺は孤独ではない。今はそうであったとしても、当り牌は山にある、「必ずある」、という証明。
結果、友を初めとする多くの理解者を引き当てるにはまだ数年を待たなければならなかったが、ともかく、俺は信仰を得た。
俺の孤独をあなたは照らした。
俺はもうあなたとあなたの作品を必要としていないと思う。それがどうしたというのだろう。父が死んで悲しまない子はいない。あなたが俺のこころを生んだ。
雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水のふかさを。