ヨコハマメリー:「美しいってことはひとを打つって事です、そうでしょう?」

DVDにて鑑賞。

ヨコハマメリー [DVD]

ヨコハマメリー [DVD]

感想。俺のこころは打たれた。であるならこの映画は美しかったのだろう。


ネタバレあり。注意。


1990年代横浜。ヨコハマメリー。真っ白い化粧、白ドレス衣装の老婆。娼婦。95年、老婆は横浜から姿を消す。
形式はドキュメンタリー。彼女を知り交流のあったひとびとへのインタビュー。
映画の作成に5年を掛けたとかで、作中でも時間が流れ状況がちらほら変わっていく。
インタビューの趣旨は至極真面目なものでワイドショー的覗き趣味やら大袈裟なお涙頂戴とは一線を画す。好感触。


老婆は堅気の市民からは気味悪がられ疎まれていたらしい。当然と言えば当然である。
一方で芸に生きる方たちにメリーは強烈な印象を残したようだ。
シャンソン歌手の歌。舞踏家の身振り。写真家の写真。女優の舞台。芸者の三味線。作家の著作。映画作り。
また彼女を邪険に扱わなかった喫茶店クリーニング屋、美容室、化粧品店。
プライドが高く無口でひとと交わらない不気味な風体の老婆。そのあり方はある種のひとびとに何かを思わせたらしい。


作中数回歌われる歌手のシャンソン。俺は感性とこころの貧しい若造で、その得体の知れない深さと悲しみと迫力を充分に受け取れたとは思えない。万感を込めたという表現を通り越し生きてきた年月を凝縮したようなその歌唱を、素晴らしいといえるほど豊かなにんげんでは俺はない。
ただ胸が詰まり泣きそうになる。
その歌手ももういない。


横浜を去ったメリーはドーランをしていなかった。それでも80前後の老婆が上手に薄化粧し髪は綺麗だし顔に張りがありなにより丸い小さな目が強い力と確かな知性を湛えていた。その姿が画面に現れたときはあんまり普通に美人の老婦人だったのでちょっと驚いてしまった。

気違い扱いされた日々

横浜で三十年近く顔をべったり白くしたホームレスであった時は地元の連中からあれこれ噂もちろん悪い噂を立てられて随分な扱いを受けていたようだが、つまりそんな状態でなお孤独な老婆が横浜を彷徨っているならば自然な解釈は無論、故郷のない狂人、だ。
ところが彼女には身よりも故郷もあることが判明する。作中老婆の手紙が二三撮影されているが、文字はしっかりし内容もむしろ高い教養と常識を窺がわせる見事なものだ。彼女は自らの意思で横浜に留まっていた。これは強靭ななどというレベルではない。何故か。
多くは語られないが愛と思い出ということになるのだろう。
なんという人生なんという人生。
俺は感動しているわけではなくてこの気持ちは戦慄に近い。愛はここまでひとりのにんげんを呪縛するものか。ひとはこんな生き方が出来るものか。


シャンソンがこころに染みる。しあわせでした、と歌手は歌う。メリーはゆるやかに頷くように頭を揺らしながらじっと歌手を見つめて聞き入っている。
とにもかくにもそうやって黙って生き抜いてきた女性がいるのである。
俺がどうこういうべき筋合いのことではないし、彼女のことをわかったというほど恥知らずでもないつもりだ。


ヨコハマメリーと呼ばれる老婆がいた。その人生は事実在った。いまはもういない。