寄生虫館物語読了

寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし (文春文庫PLUS)

寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし (文春文庫PLUS)

寄生虫学の権威、故・亀谷了博士のエッセー集。
7章構成。1−3章で寄生虫について詳細に語り、4章はシーラカンスから寄生虫を見つけるまで、5・6章では寄生虫にまつわるひとびとの話。7章は目黒寄生虫館が出来るまでのことを描いている。


いや面白いの何の。


ただし1−3章は写真・画像・解説満載、肝の小さい俺は気持ち悪くなりました。それと同時に寄生虫とひとくくりにされる生物群の潔さに脱帽。博士は、寄生虫は環境に合わせるためなら自分の体の構造をすっかり変えてしまうことすらいとわない、とおっしゃる。鯉のエラに寄生するフタゴムシは、

目はあくまで魚に近寄るまで必要なのだ。そして、自分が寄生すべきエラにたどりついたら、目玉の役割は終り。エラにたどりついて二四時間以内には、目玉をポロッと落としてしまう。

寄生することが正義である。目玉も手足も筋肉も用が終われば(つまり寄生が完了すれば)躊躇なく捨てる。


シーラカンスが日本に贈呈された時、このおやじさんはなんとかしてこいつの寄生虫を調べられないかとそればかり考えていたそうな。がんがん自分を売り込んでみたら簡単に許可が出て喜んだのもつかの間、発見まで大変な苦労を重ねる(もっとも本人は楽しくて楽しくて苦労ともなんとも感じていない模様)。


本書の白眉は7章。グロイ話や写真もないし一番気楽で面白い。東京名所・目黒寄生虫館が出来るまで。様々な幸運が重なったかのような書き方をなさっているが、そんな馬鹿な。今も昔も指をくわえて待っているだけでなんとかなるものか。

この寄生虫館の創設期、昭和二十年代から、三十年代にかけての一〇年間は、春夏秋冬,冠婚葬祭に関係なく、服はただ一着しか作らなかった。(中略)リンゴ箱を買ってきて、これをテーブル代わりに食事をしたとき、これは畳の上に新聞を敷いて食べるのと味がちがう、おいしいと思って食事をした記憶もある。とにかく、全ての情熱、金銭を寄生虫館のために捧げていたのである。

見事な既知外である(誉め言葉)。断じて敢行すれば鬼神もこれを避くとか。これほどの寄生虫バカであって初めて、ひとのこころを動かし、資料も資金も集まろうというもの。

寄生虫館をやっていて、一番苦労したのは、標本集めや資金のことではなく、僕の情熱を理解してくれない人の態度や言葉だった。

涙が…


気持ちのいい本だったなあ*1


次はうーん「吾輩は猫である


PS.寄生虫館はこちら

ていうか俺も行かないと

*1:寄生虫写真はともかく