「太陽(ソンツェ)」:感想から零れ落ちたいくつか(やっぱりネタバレあり)
感想は以下
○△□ - 映画「太陽」主演イッセー尾形:感想(ネタバレあり)
http://d.hatena.ne.jp/mini_k/20060813/p1
- 映画、象徴、芸術
- 娯楽映画を中心に見ているせいか、この作品のような象徴と隠喩を多用する「映像作品」は貴重な体験だった。俺は慣れていない。
- ソクーロフ氏の他作品は見たことがない(多分これからも観ない)し、ロシアの監督を知らないんだけど、「xxは△△を表している」式の寓話めいた映像表現はナウなヤングにバカウケなのだろうか
- セットや背景や多分時代考証なんか、細部まで具体的にこだわった作りになっているにもかかわらず、実は抽象的観念的な映画だと感じている。あまり自信は無い。うまく説明もできない。
- バックグラウンドに低く音が掛かり続ける。ある場面では飛行機音、ある場面ではラジオか無線の耳障りなノイズ。なにかしら不安でいらだたしい音。気がつくとそれはなくなっていたりする。
- 地下防空壕のなか、袋小路に入り込んで困ったような天皇。ひとりでダンスする天皇。鶴の鳴き声。ラストの皇后のアップ
- 老科学者とオーロラについて会話する天皇。あの場面はなんだろう。わからない。「不安に、させるのです」
- 嫁さん曰く「映画監督というより芸術家・美術家」。なるほど。
- 作品中の笑いについて
- 笑いの起るシーンがちょこちょこあるのです。
- チョコレートの場面。科学者との椅子の譲り合い。マッカーサーとの遣り取り(!)。ひとりにしてくれと老僕に命じるも、老僕はおろおろしながらなかなか部屋から出て行かない、扉の影からちらちら天皇を窺がっている、「気持ちはわかるが」といった感じで困りながらいらつく天皇。
- 「チルドレン!?」
- マッカーサーの葉巻から火を貰う天皇。
- 皇后との会話。夫婦そろって「あ、そう」「うん、そう」「そう」。
- 台詞のほとんどが「あっ、そう」である人物。これは…口癖なのか。天然なのか。
- 「笑っていいのだろうか」という怖さ。今にも天皇万歳なひとが怒鳴りだすんじゃないかという妄想。自らを縛るのは自らである。
- しかし天皇の話題は、明日の天気の話題よりもはるかにトラブル発生確率が高い話題である。そう教えられてきている、あるいは思い込んでいる。
- 「監督の映画技法が稚拙」であるとか「イッセー尾形の芸が未熟」という批判はありうるだろうと思う。
- そうではなく、これらが「ただのコント」「ただの物まねひとり芝居」にしか見えなかったひともいるんだろうな、という虚無感。
- 「私は知識が浅く内面空虚なにんげんです」という宣言。しかもそれで優越感を感じている模様。
- どうしてこういうひとびとはわからなかったものを「わかりませんでした」と言う勇気が無いんだろうか。わからなかったらつまらなかったですか。おめでたいですね。
- 例えば「結婚式」「披露宴」と称するコント。「葬式」などという茶番。「王様は裸だ!」と叫んで得意がっている子供。そんなに誉めて欲しいの?飴玉あげるから消えろ「舞台」から。
- そんなことはわかっているんだよ。王様だってわかっているんだ。コントでひとは死なない。人が死んだらもうコントじゃない。観念がひとを殺しているんだから。
- パントマイムは見る側の知識と体験に依存する。だから中身の貧しいこどもには分からない映画は存在しうる。文学も。
- そうでなくても例えば俺は野球やサッカーについて語ることはない。ボール一つに右往左往する「ただのコント」にしか見えないからだ。俺はスポーツから熱気や興奮やドラマを引き出す能力に欠ける。面白さがわからない。俺は沈黙する。おおいに楽しむひとびとを理解は出来ないが想像はできるから。
- 読み取るちからが無いんだ。自分に引き付けて引き受ける想像力がないんだ。黙ってろ。「言う者は知らず」
- 皇后について、桃井かおりについて
- 老子の一節について
- その他(映画に無関係な独り言含む)
- どうもこの映画、雑誌とかで取り上げられているようだ。ネットでの感想も徐々に上がってきている
- ところでああそれにしてもミツバチのささやきを7月に上映していたとは。見逃したは不覚である。己のアンテナの感度の低さよ。しっかりしろ俺。
- この映画、DVDになるのかなー
- ココナッツジュースを生まれて初めて飲みました。昔から飲んでみたかったんだ。おっちゃんはココナッツの頭にがすがすドライバーを打ち込んで穴あけてました。ストロー差して出来上がり。飲んでみたらココナッツのにおいがしました。えんどう豆とか大豆のような豆系植物汁で大変ショッキング且つ満足なお味。結構おいしい。念願かなって嬉しかったです。