幕末新選組:士道不覚悟切腹よー♥

4167142848幕末新選組<新装版>
池波正太郎
文藝春秋 2004-01-10

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今回しんせんぐみは「新選組」で統一する。
あらすじ。野暮が嫌いで真っ直ぐな江戸っ子永倉新八は三度の飯より剣術大好き。新選組時代の激闘、抗えない歴史のうねり、明治以降の氏の人生。
感想。読んでよかった。幸せ。


以下ネタばれ含む。


俺はこれまで新選組関連の小説を一冊も読んでいなかった。思い出せるのは黒鉄ヒロシ新選組」と「行殺♥新選組」くらい。それでも有名なので幸い大まかな流れは知っていた。
これといって纏まった書籍を多く読んでなくても何となく知っている。俺と同じようなひとも少なからずいるかもしれない。で、それほどの有名集団がどうしてこれほど「有名」なのかというと、生き残りがいたからである。
小物でも裏切り者でもない。新選組結成当時からの最古参のひとりにして血風渦巻く京で激動の数年を戦い抜いた押しも押されぬ二番隊組長・永倉新八
行殺では永倉新嬢が一番好きだった俺だが、話によるとこの御仁はあまり人気がないらしい。完全な憶測を一席。新選組人気は「滅びの美学」「美学を貫いた末に激しく散る」が大きい要因の一つのような気がする。壮絶な或いは涙を誘う最期は、嫌な言い方をすれば最大の「見せ場」。見せ場のあるキャラに人気が集まるのは当然といえば当然だ。
ところがこの人物は良いのである。何とも言えずいい。
性格は真っ直ぐな剣術ばか、威張った人間が嫌いでからかいたくなる。非情になりきれず、どうしようもなくなった相手に対してもつい肩入れしてしまう。明らかに分が悪くても信念に従い精一杯頑張り、時流を得ず事が成らなければ静かに身を引く潔さ。テロ計画と暗殺が日常になった都で数々の働きを見せた剣の腕、数え切れぬほどの人を斬ってきた実戦の鬼にもかかわらず、ついに愛嬌というか純真さを失うことがなかった。稀有である。
こりゃ男も惚れる。
その苛烈で華々しい前半生から一転、幕府第一主義だった新選組はいつの間にやら賊軍に。敗走に敗走を重ね潜伏し北海道に渡り名を改め、女が死に父母が死に同志が死に行く中ついに罪が消えるまで生き抜いた。
30p足らずの最終章「落日」。後半生も剣一筋、職を得剣談に花を咲かせ旧交を温め娘の再会に涙し孫を猫可愛がるかわいいおじいちゃん。しかし70を越え腰は曲がりよぼよぼになっても、竹刀を取っては背筋がぴんと張り若い連中を苦も無く捌いていたとのこと。やはり噂に聞く、斬った人数だけ強い、というのは嘘ではないのかも知れない。

「悔はない」
と一言、莞爾として永眠した。

氏が書きとめた覚書(お孫さんはそれらを整理した)と新聞記者からのインタビュー集のお陰で新選組の名はただの人殺し集団ではなく血の通った男達として記憶された。
このこだわりのなさは何事だろう。文字通り命を賭け心血注いだ事業が水泡に帰したときここまで達観できるものか。軽やかに新しい一歩が踏み出せるものか。
ため息。


個人的な話をすると、久しぶりに小説を読んだ。年末から「ディアスポラ」をちらちら読んでたら数ヶ月掛かってしまった*1
今年前半は映画がなかなか面白くてなんとなく小説に嫌気が差していた時期だった。メカビライトノベル「超」入門のおかげで池波正太郎を思い出し、ついでにいつかメモしてすっかり忘れていたのがこの「幕末新選組」。久しぶりに氏の小説を読んだ。
初出は昭和38から39年。氏の代表作群はもうすこしあとに出現しますね。
特徴は描写の少なさ、というと言葉が悪いか。簡潔さとでも言っておこう。台詞も多く、ページの下段は割とすかすかです。
例えば小説は説明せずに描写しろなどと申します。「悲しい」の単語を使わず悲しみを描けという奴で。ところが少ない描写で豊かに分からせる技術は高度ながら存在する。読み手からすれば意識もしない(させない)が書き手から見るとほとんど神業である。
小説という完全な人工物が、天然自然の呼吸を得る不思議。
しかもその技術を持って描くのは小難しい理屈や大上段の「自説」「大説」ではなく、にんげんのあたたかさ激しさ、痛快なエピソード。
ああこういう小説を書ける作家は多かぁいないなあ。偉くなりたいのかね作家先生、そりゃなりたいか。まあいい。



これは一山いくらの新鮮な果実。ただ齧り付こう。

*1:ちなみにこの小説の評価は、異常傑作。これまでの生涯でもっとも「スケール」が大きい怪作。正直SF素人には絶対お薦めできない