うほっ イイ反論

http://d.hatena.ne.jp/shpolsky/20040627

①結論
>体系というのは論理学も含まれますので、実際は人間の思想全般がぶっ壊されています

正しい。負けますた。

②動機
私がshpolskyさんの6/26のコピペにコメントした理由は、
>「自分自身が正しいと証明できる体系は存在しない」
の一文がちょっと大雑把に過ぎるなあという感想からでした。
今回返信があったのでうきうきしながらshpolskyさんの日記をすべて読ませていただくと、6/12の日記で不完全性定理に言及しているではありませんか。
読む。
orz
過不足なく説明されてるじゃん。俺カッコ悪い。
>証明も否定もできない、という命題が必ず存在する
ちゃんとわかっている方でした。釈迦に説法。手屁。


③後半部分について
ではそれを踏まえて悪あがきをしよう。なんとかイーブンに持ち込みたいのう。
>被害の度合い

についてですが、物理側をひとくくりに「物理屋」としているのに対して
「哲学屋」側を個別に宗教家・共産主義者・民主主義者にしていると。

物理屋 ←対立→ 宗教家・共産主義者・民主主義者

これはいけません。

哺乳類 ←対立→ とかげ・蛇・かめ

類には類を持って来るべきです。
で、そうすると哲学類も己の仮定(信仰)がヤヴァくなれば別の仮定に乗り換えればよろし。
shpolskyさんの前提とされている、
物理屋は柔軟に仮定を変えられる」に対して
「哲学屋は己の仮定に固執する(狂信者である)」という考え方はどうでしょう。
数学ならガロアあたり、物理ならツィオルコフスキーかな?「物理屋は己の仮定に固執する」の犠牲者のような。


いかんなトゲトゲしてきた。楽しくてしょうがない。
広い意味の哲学は考えること、でありイコール疑うこと、です。
「ほんとうか?おいほんとうか?」
と問いつづけることです、今の私の意見では。
哲学はだから実際は名詞では表してはいけなくて動詞として扱うのが妥当かと。
なのにどちらの側にも
「法則・定理を丸暗記しているだけの物理屋のようなもの」
哲学史・古人の主張を丸暗記しているだけの哲学屋のようなもの」
がうようよしていそうなヨカーン
どっちもどっち、というあたりで勘弁していただけないでしょうか…

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④信仰上の理由
といったところで。
タイトルの「無意味でいいじゃん」
だめー、これだけはだめー。
私の信仰にバッチリ抵触します。
困ったことに説明が出来ないのですが。
しょうがないのでいやいやします。
いやいや。


⑤せっかくだから雑感を
NOW FOR SOMETHING COMPLETELY DIFFERENT (話はがらっと変わりまして)
趣味の話でも。
ブッダ・・漫画のブッダのことでしょうか。あれはよいものだ。何度でも読める。さすが手塚はリアルの地獄を見てるだけのことはある。
老子・・・馬王堆の老子は燃えるべ?
ドストエフスキー・・ロシアの偉い人の本は読んでいません…一説によると大島弓子のほうが格上とか。
ニーチェ・・・ドイツの既知外は読んでいません…文献学の大家ですね。ツァラトゥストゥラのRPG化キボンヌ。
山田風太郎・・・全部読んでいません…半分も読んでいません…あとの感想は私の日記にぽつぽつ書いてるあたりを参照
夢野久作・・・ちゃかぽこちゃかぽこ
アレハンドロ・ホドロフスキー・・・始めて知りました。感謝。縁があれば観ることもあるでしょう。「覚えたぞ!」
タクシードライバー・・・映画は苦手です…なにやら面白そうだ。覚えた。


チャンはいい。
そういえば繰り返しになりますが、私の感想としては
結論は「絶対に正しい真理は存在しない」
それでも生きていかねばならない。
であります。老子は地獄の思想です。
あなたの人生の物語
は美しい。トラルファマドール星人を使って感動を与えるとはただものではない。
ちなみに「地獄とは神の不在なり」
>神が人間にとって都合のいい存在である蓋然性がどこにあるんだよ!

仕様です。


総じてshpolskyさんはニヒリズムに興味をもたれているご様子。
乗り越えようとして(多分)成功しなかったニーチェの悲喜劇は井上円了のそれにも似て哀愁漂います。


⑥祈り
どっちの技が上でもかまわんというにはこの紫煙改、若すぎる。
ああ楽しい。
shpolskyさんにとって良い刺激でありますように。