資生堂ギャラリーについて

先日銀座資生堂の存在を知った。
その数日後、当日行けない嫁さんがひとりで資生堂ビルを見に行ったらしい。「前に行ったリクルートかなんかのギャラリーあんなん子どもですよ、資生堂ギャラリーやばいわ。」とメールが来た。嫁さんは何がどうヤバイのか説明しなかったし俺も聞かなかった。言えば離れる。俺が当日見れば分かる。

土曜。ビル一階にひっそりと細い下り階段があった。俺は茶室を連想した。作為を感じ、すり潰されたりせんぞと唱えながら地下に降りていく。
受付を過ぎて空間に入った俺はうううと唸った。椅子があった。壁に作品がかかっている。ライティングも見事、しかしそんなものはどうでもよろしい。
四角い空間が視野に収まって再度俺は意を感じた。この空間は計算と意思で構成されている。圧倒された。建築を知らない俺は何がどうすごいのか全く分からない。
こころがぎゅっと頑なになる。俺は室内に進み、心地よさを感じていることに気付いた。まじファックである。ムカツく気持ちと、この場にいる快感で、俺は頬をふくらませた。

階段でも書いたように茶室を連想し、料理を盛り付ける器を想像した。
現在の資生堂ビルはリカルド・ボフィルというスペインの方が建築されたそうである。カタコンベや玄室のイメージかも知れない。
陽光、オープン、クソ食らえである。ここは黄泉の国であり静かに美を探求するラボであり死んで生き返る薄暗い場所だ。根である。資生堂はこの上に咲いている。