ヒッポン・エイジス〜あの雑誌の誌面から振り返るテレビゲーム80's

青い心

俺が何者かと言えば子供の頃にさかのぼる。聞きたまえ。道家で方針を知り星新一に衝突し新井素子にあこがれたころ、ファミコン必勝本を知り買い俺は読み続けた。*1
ろくにソフトを買えなかった俺が攻略記事や裏技なんぞをありがたがるはずがない。
ファミコン必勝本の記事はソフトそのものの紹介よりも、ゲーム業界(@ヒラ坊)やらゲーム世界観の元ネタ・周辺知識が多かったように思う。
実のところもうなぜ俺がこの雑誌を読んでいたか思い出せない。いったいどんな気持ちだったのだろうか。

俺も無いけど心配すんな

俺は四国の隅っこでもぞもぞ生存しており本屋は少なく本を語れる友は皆無であった。物語世界のデータベースへアクセスするすべを持たなかった俺にとってこの雑誌は唯一の体系だった情報源だった。ファミコンRPGのジャンルが確立するとそのメインの世界観である中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の需要が高まった。その方面にはTRPGが屹立していたが同志がいないとプレイ出来ないテーブルトークは田舎の小僧に無縁である。
そういう俺の渇望とちょうどのタイミングで、他誌との差別化を進めるファミコン必勝本の行き先が重なったのだろう。隣り合わせの灰と青春を探して少ない本屋をまわりやっと町で唯一の大型スーパー内の小さな本屋の片隅で見つけた訳。小躍りして中学校とかにも持って行った。誰も興味を示さなくて肩を落とした。

拡充

これは俺がハイティーンに突入するころHIPPONにリニューアルし雑誌の方針はより先鋭化した。まさに俺にとっては願ったり叶ったり。このころには我が精神の父ヴォネガットに単時的な意味でこんにちはしており俺の脳内はどうしようもなく残念だった。

阿佐ってみるともう阿佐田哲也で麻雀だよね

どうしてこういう話をしているかというとまぁ夜ちょっと集まりがあって楽しかったということです。
そこはきっと25年前厨二病をこじらせていた俺みたいなあほうどもだけがいた。価値は不定である。あるものの黄金はべつのものの鼻紙以下であり要するに俺が支払った金銭と時間は俺たち以外にはどぶに捨てたようなものである。コーラしか飲んでない平林さんが誰よりも熱く吠えるのを梅酒なめつつ俺は見た。
鈴木みそさんがすげえ仕事できるひとなのが一目で分かった。成沢さんの手際の良さにベニ松さんのうさんくさいかっこよさ、高橋さんのひとのよさ。

文は人なり

ああ雑誌はにんげんがつくる。なんであれ作るのはひとである。
俺がしびれた雑誌をこねくりまわしてたお兄さん達は煮ても焼いても食えないおっさんたちだったことを体験した。なんかどんな話が出たかとかよく覚えていない。どうやら俺にとって会話とかどうでもよかったらしい。
俺の青春と隣り合わせだったのはなんだったんだろう。俺はいまだにハンドルを握っていないような気がする。

*1:山田正紀の魔術師を見かけ長い長い弥勒戦争に巻き込まれるのは、そのほんの少し先だと思う。