小松左京死去

小学生高学年、星新一のおかげで忍びも通らないSF獣道へ迷い込んだ俺は氏のエッセイなどで小松左京の名を知った。
今となっては一番最初に読んだ作品は思い出せない。ただその候補の一つ、一番最初に読んだ長編「復活の日」はよく覚えている。

復活の日 (ハルキ文庫)

復活の日 (ハルキ文庫)

学校の図書館にあの堅い方の昔の角川文庫で手に取った復活の日
鶏の謎の大量死、蔓延する謎の病、後手後手に回る医療、息もつかせぬ展開で難しい単語が羅列されページを埋め尽くしやがて覚悟を決める人類、南極二万人、その間に挟まる神父だか牧師だかの孤独な放送。。。。
あれから約四半世紀経ちその後再読していない。心から愛するタイタンの妖女ですら三年であらすじを忘れる俺が、にも関わらずそこそこ断片が思い出せるほどの衝撃であった。これほど重厚で絶望的で鬼気迫る小説は読んだことがないと坊主頭の俺は思った。


地には平和を、コップ一杯の戦争、ヴォミーサ、物体O 軽妙なあるいはシリアスな短編の名手でもあった。
ベスト?文春文庫の時空道中膝栗毛一択である。どっかからソフトカバーで続編が出たのは高校生の頃だったか驚喜した覚えがある。
ハイデガーは我が敬愛する先輩殿に教えて頂いたが、フッサールの危機書の存在だけは小松左京氏のエピソードのおかげで知っていたなあ。


これを書いてて今突然稲妻のように思い出したが、俺は星新一以前に小松左京の作品を読んでいた。そうだ。あれは小学生低学年から中学年のころ、親父様の枕のにおいをかぎながらねっころがって読みふけった角川の「雑学おもしろ百科」であった*1。確か数巻家にあったような気がする。
おにんにんのおしっこ以外の使い道を知るより早く俺はそこでワカメ酒を知った。


小松実様ありがとうございました。あなたが町工場の社長として成功せず漫才の台本家として生きていかなかったおかげで今の俺の何%かは形成されました。最近のお写真を拝見したところひどく痩せておられ昔日のほっぺたを思い出し泣きそうになりました。
俺は今小松左京?誰それというひとびとに囲まれて生きていますが日本沈没を知らぬ日本人はおりますまい。さいわい我々はまだ流浪の民とならずにこの小さな島にしがみついて生きています。
21世紀となったこの10年をどんな気持ちで過ごされましたでしょうか。
長くなりました。このへんで。
安らかにお眠り下さい。

*1:監修だけど