昔話

 昔の話よ。河童におうたがよ。小学校ばあのときに釣りに行たわね。田舎の近所の川よ。土手は護岸工事されちょってコンクリやったわ。四角いががタイルみたいになっちょってね チャリを置いてよ ちょっと腰をおといてこけとうないき一歩一歩ゆっくり下りたわね二三mかね下りたら川岸よ 丈のある草がちょぼちょぼ生えちょってよね足元が あれなんと言うがかねひらべったいお椀みたいな丸いがが敷き詰められちょった。ちょっと柔らこうてね多分滑りどめみたいな役割やったと思うよ。右手に土手を結んで橋がかかっちょったわ。川にあ誰もおらなあ。道も橋も人がおらん。その川は知っちゅうけど中が案外深いがよ。ふとい川やきよ。岸を一mも離れたらもうがくんと深うならあ。
 その日あ曇天よ。あたりは暗いわ。気が付いたら日が沈んぢょったろうやいか。七時にならんばあの頃やったろうか。釣れん釣れんでどうしようか思いよったころよ。音がしてね。ばしゃんというてね。だいぶ大きい音が橋の下の方からしたがよ。
 俺は魚がかからんき雨上がりで濁った土色の水面とか向こう岸とかその向こうの東の山を見たり見んかったりしよったがやけど、音にはそりゃあ気付いたが。大きかったきね。ナマズが跳ねたかと思うたけんどだいぶ違うぞと。
 俺ああれよ 見えんところで音がしたち 直ぐにそっちを見ん。そういう性格よね。見るより耳をすまさあ。音を拾うて何があったか考えるがよ。その時もそうでね そっちを見ざったわ。音はばしゃ言うてしばらくたってまたばしゃん言うて。音がすらあね。はてと思いよったらよ。ばっしゃあ言うて 川辺から誰か上がってきたがよ。
 もういかなあ分からんきね。さっと動くような性質やないきよ。固まったわ。目端にね視界の隅によもう誰か川から上がってよ水垂らしながらおるがよ。じっとしてねえ腰を屈めて立っちゅうのが分かるがよ。
 どればあ経ったろうなになになにぃとか思う間に、それがねえ まぁこっちに来たがよ。もういかなあさすがに首を回して見たわ見んと話にならんも。そりゃあ河童よね。河童の話をしゆうがやき。いうてもその時はなんともわからざった。いや河童は知っちょったろうけど 人間ねえ ああいう時はあたま働かんもんやね とにかく分からんがよ。
 色らあわからざった多分灰色やったと思うが辺りが暗うて灰色やったきねえ。緑やったかも知れんねえ。河童やき。目えよ覚えちゅうがは。猫みたいやったき。金色やったも。目がおうたきね。見つめあうあなたとわたしよ。滅多。口も尖っちょったやないろうか。突き出ちょったよ確か。それがねえ皿とか甲羅とか覚えてないがよ。どうやったろうねぇ。髪はあったよ。水たれよった。おかっぱより短うて。水から上がったせいかねえやっぱりぬめった感じはしてたよ。自信ないけんど。
 俺はねえまだ釣り糸たらいたまま固まっちょったねえ。首右向けてねえ。あのあとしばらく首を痛めたきねえすうごい力入ってがちがちになっちょったがやろうねえ。生臭いにおいがしたような気がするけんどあんまり覚えてないがよ。
 で河童がよ げええ言うたわ。ぎいいやったかも知れんとにかく唸ったわけよ。鳴いたがかも知れん。なんか音をだしたわ。俺あねあかんとにかくなんかせなと思うてね こっちも声を出いて脅かそう思うたけど声が出ざった。
 それからよ河童はついによ喋ったがよ。喋ったわあ。
 すもうとろ
 て言うた。おいすもうとろ言うた。反応に困ったでえ。はっきり覚えちゅう。河童の言うたことは聞こえちゅうがやけどよ、この時、意味が分からざったがよ。ちゃんとね日本語やったわ。声は濁っちょったけど発音は普通やった。なまってなかったねえ。日本人やったがやろうねえ。まぁ。
 もう一二回河童は言うてきた。ちょっとづつ近付いても来てた。背は俺と同んなしくらいやった。やき子供ばあの背丈よね。ほいで足元のねえ丸いイボイボが邪魔らしゅうて だいぶひょっこりひょっこりというかバランス取りにくそうにね。で近付いてきた言うても間合いを詰めるとかやのうてよ、どうも今思うたら、俺が返事をせんき、声が聞こえてない、思うたがやないろうか、と思うよ。こっちゃそれどころやあるか。竦みあがっちょってねえ。手足ちから入らんでねえ動けなあ。口も声どころやないで 息も出来てなかったかもしれんね 気が遠くなりかけちょったみたいよね。胃がむかむかしたよ気持ち悪うて。なんかの拒否反応やったろうかねえ。あの頃からもう目が悪かったきよう細かいところは見えざったはずやけど、おかしい、と思うたがかも知れんね なんというか、生物的によ。深海魚見て受け付けない、みたいなが。
 おい すもうとろうや
 あ気持ち悪うなってきた。いかんなあだいぶ経つになあ。
 その時よ。
 わん!
 早かったよ河童ちょっとぶるっとしたかと見えたら俺から視線外さんままぱっと左の川に飛び込んだ。
 どぼんというてそのまんまよ。
 犬やったわ吠えてくれたがよどこの犬か知らなあ多分野犬やないかな割りと普通におったきね野犬。田舎やき。野犬が吠えたがよ。で逃げたみたい。犬はそれからどういたろう。確かに土手の上から凶暴なね攻撃的な吠え声やったけど。犬の影を見たような気がするけどね。覚えちゃあせなあ。
 その後もよう覚えてない。どうも親が言うには別に変わった様子はなかったらしい。飯はくわざったらしいけど。おい変わっちゅうやいか。気付けやあんたらあ。しょうのんびりしちゅうわ。
 俺は河童に会うたがやと思う。分からんけど。川行かんなったね。東のその川は南や西の町とも、北の方の学校とも関係なかったき、近付かんでも生活出来たがよ。怖かったがやないかと思う。俺はねえ一人暮らしらあしとうなかったがやけどねえ 大学はこっちを受けて田舎を出たわ。この一件がちょっとは影響しちょったかも知れんね。全部とあ言わんけどね。怖いがやないかな。俺は怖かったがやろうか?まぁ怖かったはずやが。でもねえなんやろ ちょっとそんな単純なもんやない気がするがよ。分からんけど。
 ああ不思議に思うたことやけどね うん。河童はよ多分ねあの時なんか分かったがやけどよ 俺を好きにするだけのちからを持っちょたと思うわ。あれよ 後で調べたらしばてんとかえんこうとか呼ばれちょって 牛を川に引きずり込んだり 大のおとなと相撲して勝って尻子玉抜いたりね、えらい腕が強いらしいわ。そういうがは後で知ったことやけいどよ、あの時、肌で大体分かったがよそれが。ちんまい百二三十の俺らあ楽に持って行けたはずながよ。河童ねえどう考えても強かったで。不思議に思うところはそこよね。相撲らあ誘わいでもすっとやったらよかったに。離れた所にあがらいでもあれよ足でも掴んで引いたらよかったに。そう思うたがよ。不思議やなあ。と思うたがよ。
 話はそればあよ。なんか自分のなかでなかったことにしちょったがやけど。こないだよ。台所におった嫁さんをおい言うて呼んだときによ。ちょっと思い出いたがよ。
 ありゃあもしかしてよ、呼びかけて、応える、いう手続きが必要ながやないかとね 思うたがよ。なんやろうね。ホントか知らんけど。なんでかねえあんなに人間とかけ離れちゅうにねえ。牛はえいがやろうかねえ。分からんねえ。
 今年も夏が終わったねえ。あれよ俺が高校生くらいの時には、もう、昔はあれほどよく見た 蛍が見んなった。そういえば。うん。そればあの話よ。