再び戦場へ

十ヶ月が経過した。
この間俺は何もしなかった。嫁さんと一緒の時間を過ごすことに費やした。
さいわい俺も嫁さんも風邪ひとつひくことなく心身ともに快調そのもの
今日で一旦区切りがつく


ここ数年うすうす気がついていたが ひとつはっきりしたことがある
俺にとって「時間がないからやれない」はまったくの虚言・言い訳な上にも輪を掛けた言い訳に過ぎないという事実だ。
時間があってもやりはしないのだ俺は。一年弱の自由な時間が与えられたとして
DVD一枚、本一冊、手をつけないのだ
金輪際口が裂けても「いや時間がなくて…」とは恥ずかしくて言えない。
俺は努力をしない。準備をしない。こつこつ継続しない。
もちろんそれで結果を出せるほど天与天賦の才に恵まれているわけもない。
通常入念な下調べや予行演習が必要な任務であれば、順当に失敗し
不貞腐れて立ち上がることもしない

今まで打ちのめされた事が無い選手など存在した事は無い。
ただし、一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうと努める
並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い
そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。


俺にとって時間は「使う」ものではなかった。ただふたりのうえを流れるもの。
MHP2Gをやりこんだ。モンキービジネスを読み込んだ。ちょっと小説も書いた。嫁さんとあちこち歩いて飯をたくふく食って近所のスーパーに詳しくなった*1。消える店舗に涙し増える店舗に感嘆した。


これだけ多くの自由な時間など このあとの人生にあるのだろうか
あるかもしれないが、ないかもしれない
有限の時間をなにに配分するか問われても答えられる自信がない
それを実際の生活で答えてしまったかたちだ。
自己啓発をしない。本を読まない。スキルや資格の勉強をしない。整理整頓しない。なんらかの大作に着手する(読む観る作る)こともない。音楽を聴かない。映像を見ない。
自分を豊かにすること投資することインプット全般をほとんどやってない。
かといってこれまでのノウハウをアウトプットするどころか、出力するほどの成果物がないことを思い知って愕然とする。
これが本当に良い年したおとなだろうか。


俺が優先した多くの物事は 他人になんら影響せず共感も呼ばないのではないかと思う。
社会的には無駄と判定されても仕方がない
俺は自分の能力を鑑み、一日の半分を捨て残り半分を充実させることに費やしてきた。
だがもちろん、その半分同士はお互いに支え補完する関係にある。
公私は人生の両輪だ。島耕作は気持ち悪いが、俺だって同じくらい気持ちの悪いにんげんだ。同じように歪み偏りいびつで捩れたフリークだ

ここ一体何平洋よ

生きるってのぁなんなんだよとどのつまり?

*1:値段の相場、肉は野菜はどこが質がいい、なになにの品揃えはどこが一番か