ケータイ小説について直感

紫の尼のひとのケータイ小説を読了。ふむ。
ケータイ小説デファクトスタンダード
起こるイベントと、ラストのイベントが決まっているようなので
その意味で
季語を必ず入れる俳句の如く、ごくごく広い意味で「定型詩*1と言えなくもない。かも。
ハーレクインとも似てそう。


ケータイ小説はなぜ読まれるのかが昔から気になっています。
そういう説明本も出ているようです。読んでませんが。
2,3ヶ月前に直感を得た。
ケータイ小説をよく読んでいるひとたちにとって
一昔前受け皿になっていた
少女漫画が
「難しくなりすぎた」のではないかと仮説を立てました。
普通のひとびとにとって
哲学書や文学作品が高尚で難解で
「わけわかんない」ように
高度に文学的wに発展発達をとげた少女漫画が
言葉を持たぬ少女達を置き去りにした。
のかも。
うーん今日はここまで。

*1:韻律のような形式はないが、事実上「ケータイ小説っぽい」文体がテンプレートとして存在している