語るな危険:秋葉原事件
もうそろそろ加藤の事件を自分の思想に利用するのはやめようよ。
加藤をダシにして元々自分が憎悪していたものを攻撃するのはやめようよ。
けだし正論である。
「でも」始めよう。
事件についていくつかの単語がしのぎを削っている。
秋葉原事件。秋葉原通り魔殺人事件。秋葉原無差別殺傷事件。
他にも、サイレントテロ。加藤の乱*1。剣はペンよりも強し。
まだあると思う。
テロか否か
誰でもよかったのに、どこでもよかった「わけではない」この事件。
まずテロか犯罪かは世間と時間が決める。論客は予想に投票できても「決定」出来るものではない。
もちろん恣意的な誘導があるとすればそれは大きい要因となるだろうけれど、
なんとなく決まるもの。
オウムの地下鉄サリンはおそらく厳密にはテロリズムの要件を満たさない。
政治目的でないからだ。
だがテロと称されていると思う。
さて俺は加藤智大氏と同一人物ではないので、事件をいかようにも解釈することが可能だ。
俺を含めた「我々・みんな」も事件を解釈する、そう解釈し続ける!
本人がどういう意図であったかなど知ったことではない。*2
のちのち平成の事件史にどう位置づけられるかあるいは忘れられさられるか、それは未来に属する事柄、俺にはわからないが
俺の意見としては広義のテロに分類していいかと思う。
なぜなら
結果として長期間世間を震撼させた/させ続けているから「だから」テロと呼んでよい、と思う。
今日はここまで