雑記 今日 明日 文学は自由 絶望的に自由

映画見てきました。
明日はヱヴァンゲリヲンでも見に行くとしよう。
キ印と国のない男の話をする。彼はこの数ヶ月でヴォネガットを全て読み返してみたら、昔読んだ時にはあまり印象になかった作品がやけに面白かったと言ってた。ふむ。ミルハウザーを読めと指示される。中篇を読めとのこと。短編はあっという間に終わってしまうし、長編は同じことの繰り返しだから読まなくていいそうだ。読んだことないですけどバーナム博物館のひとだよね?何読んだらいいのやら。カラマーゾフの話をする。彼は百年の孤独神曲を読んだ結果、純文学はなにを書いてもいいジャンルなのだと悟ったそうだ。おお。俺もそう思う。そういえば神曲がすごく読みにくくてつらかったらしい。だからもう小説である限りどんな文学でも「神曲より読み易い」という基準で読める自信がついたとかなんとか。あいかわらずいいおとこである。勧めてよかった。さて昔も書いたが、神曲は気違っている文学である。妄想を妄想的な文体で書く事は容易い(読者が読むに値する作品に仕上げるのは天賦の才が必要だが)。高尚なテーマを気違い文体で書くのも21世紀ともなれば可能だ。しかし神曲のように狂った世界をバロック建築の如き完璧さに塗りこめる作業は、妄想の天才と詩文の天才の両刀使いでないと不可能である。要するに不可能である。チンパンジーにもシェークスピアなら書けるかもしれない。だがダンテは無理。人間にだって書けないのだから。