お笑い五味一男学校

俺が上記エントリー内の引用文を読んで受ける印象は「そのやり方はちょっと…」というプロデューサーさんへの思いだった。なにやら裏切られたような気持ち。
ブクマのコメント等を見る限り批判的な反応が多いように感じる。


仕組みに関して言えば、
スタジオで作られる週刊漫画の大半。
脚本家と監督が仕切って俳優はただ言われたとおりに演じるだけの映画やドラマ。
編集者との二人三脚の小説家。
作詞作曲者と歌手。
作るプロと、実際に演じるプロとの分業制は多くの業界で行われているわけで、だったら「革新的」であるからショックを受けたわけではないことになる。


お笑い芸人はネタを自分で作っている、という前提。
これには多くの前例はあるだろうが「そうあるべきだ」という根拠は何も無い。
なぜこの前提を俺は信じたいと願うのだろう。


うまく言えないけど「お笑い芸人」に何かを重ね合わせ、何かの(多分自分勝手な)イメージを投影しているのだろうな。




テレビ演出のプロがネタを作り、笑い実演のプロがそれを演じる仕組み。
感情的な部分を排せば、評価できる仕組みだと思う。プロデューサーさんが"育てる"という表現を強調しているのはつまり、育っていない芸人、厳しく言うなら自称芸人がごろごろいるという事の裏返しだろう。
ダウンタウンは師匠を持たないお笑い芸人像を確立した*1。厳しい師弟関係や地味そうな「修行」「勉強」と無縁の存在。
自力でネタを作り洗練し自己プロデュースし実力の報酬をダイレクトに受け取れる職業。
アドバイスも庇護も無い職業。


自力でなければ「本物ではない」という気持ち。「そこまでして売れたいの?」=「そんなことしちゃ駄目だよ」の気持ち。
商業演劇者であって欲しくない。芸術的な創作活動をしている表現者であって欲しい。
俺、いつから笑いは芸術だと思い込んだんだろう



 

*1:異論はあるかもしれない。彼等が史上初な訳ではないし。あくまでシンボルである