「市民ケーン」:オーソン・ウェルズ傾いて候

ネタバレ要素あり。注意。未見者非推奨。

市民ケーン [DVD]

市民ケーン [DVD]

感想。(顔を真っ赤にしながら)参った降参。60年間百万人が百万言費やしているが、敢えて俺も一票投じよう。「完璧」と。


公開1941年。
亜米利加一の傾き者オーソン・ウェルズが今太閤・新聞王ハーストを命を懸けておちょくった作品。
DVDの映像音声はとても悪いが俺は気にならない。
監督主演脚本のウェルズは26歳。処女作。ハーストの逆鱗に触れたこの作品は新聞王のメディア戦略に潰されて興業的に大失敗、後々ウェルズに影を落とし続けることとなる…
「負け戦こそ面白い!」
あらすじ。新聞王ケーン老が自宅の城で「薔薇のつぼみ(Rosebud)」と呟いて息を引き取った。謎の言葉の意味を追い関係者に取材する新聞記者。落ちぶれた元妻。支援者であり仇敵の自伝。好意的な元部下。批判的な元親友。矮小な執事。ひとびとの回想が交錯する。果たして言葉の謎は。


映画に詳しい人たちの解説によると、この作品にはたくさんの映画技法が詰め込まれているそうだ。技法の歴史に疎い俺としては詳細はわからないが、この21世紀の現在見ても遜色ない鮮やかな演出の数々に古さを感じることは無かった。近年の作品でもこれだけ巧みな映像は覚えが無い。
軽妙な台詞・時に深い一言・言葉選びのセンス抜群、間違いなく天賦の才。演技の巧拙は評する自信が無いけれど俺には充分に見えた。ひとりの佇み、ふたりの会話、三人の議論、群集の動き、仕草表情言葉の間掛け合いのタイミング、おちゃめなダンスもとげとげした朝食も得意の絶頂も裏切りも孤独も怒りも沈黙も、全て文句なし。
両親から引き離され莫大な財産を相続、新聞社を経営し反則ぎりぎりの危険な記事で権力を手にいれ世界恐慌を乗り切り絶頂期に政治に進出するも敗北。
このひとりの老人の生涯の略歴を提示し、回想を通じて徐々に細部を掘り下げる複雑な構成の高い完成度。入り組む時間軸、語られる極端な行動、微妙にちぐはぐなドラマ、垣間見えてくる人物像、依然謎に包まれた最期の言葉。幾つかの解釈がなされるがしっくりこなくて首を捻る新聞記者。


誰も愛さない。勝ちを積み上げ逆境を跳ね除け醜聞に堕ちた大立者。誰もいない王国で不機嫌に、得る術を知らずただ求め続ける。
なにが完璧といって、事実はたったひとつ最期の言葉だけ、あとはすべて「他者の回想」。それぞれの立場それぞれの考えそれぞれの記憶の中に残る主観の断片。歪曲され敬愛され哀れまれ唾棄された思い出のチャールズ・フォスター・ケーンなのだ。
出来事に於ける彼の行動の動機が不鮮明という批判は無効だ。何を思い何故そのような行動をとったのか結局分からない、否、我々は無限に解釈し続けざるを得ない。
ラスト間際、声も無い家来を省みもせず呆然とよろめき歩くケーンが合わせ鏡を横切るシーン、からだを引きずるように進む老人が一瞬合わせ鏡の奥無限に分裂する。
人物の真実に到達することの無限の不可能性。
あきらめ取材を打ち切る新聞記者たち。
その時我々は薔薇のつぼみの意味を知る。しかしやはり分からないのだ、何故それが最後の言葉なのかが。分かったということが「出来ない」のだ無限の孤独な大富豪に対して。
薔薇のつぼみは失われ、門は永遠に閉じられた。
「立ち入り禁止」


二時間かけて語られた数十年の生涯が、わずか数分で解き明かされ謎に包まれ完全に完結する。
俺はかつてこのような物語をひとつしか知らない。「百年の孤独」。
bestかと問われれば答えるだろう。
ただperfect。