かえる食堂

感想。俺は拒否する。


フィンランドの風景と人たち。
とても素敵。いい国だと知る。行ってみたい。住みたい。
内装やキッチンや作られるお料理や市場。
これも良くてその辺に興味の無いがさつな俺でも大したものだと感じる。
これといったことは起こらず終わる。
それは別にいい。ヤマなしオチなし意味なしでかまわない。ドラマを廃する手法は特筆すべきほどの事ではない。


じつのところ、俺の中の拒否感がどこからでているのかよくわかっていない。間違いなく主演三女優に起因するのだが、ここは慎重にことばを紡ぐべきだと予感する。危険だ。俺の世界観に抵触しているらしいから。
フィンランドで食堂を開く女性。たまたまフィンランドに来た女性。鞄が届いてない女性。
さんにんの会話が、仕草が(小林聡美の膝行だけはガチ)、語られない過去が、語られない生活基盤が、俺を不機嫌にさせる。
片桐はいりもたいまさこの舞台俳優特有の演技が鼻につく。
突然述語をいい一拍置いて主語を言う倒置法、「○○なんです」の語尾。
こまったことに貶したい訳ではない。繰り返すが、俺が「いい」と思うツボを悉く逆なでするだけなのだ。
大多数の観客に受けて評価されるであろう事は頭ではわかっている。それは素晴らしいことだと思う。納得もする。評価に値することも認める。
これは俺の問題。


義務を放棄した後には逃れられない空白と寂寞の自由だけが否応無く眼前に広がる。その白紙を埋めるモデルケース・テンプレート(ではこちらなどいかがでしょうか?)が提案され提示される。カタログ。
そういう商売をしている作家は過去のカタログを否定し続ける宿命を持つ。ひとびとの気分を掬ってモードを生み出し近未来を演出する(今はこれですよ)。
では去年のあれはなんだったのだろう。


「ずっと同じではいられない、みんな変わっていくものよ。」


俺は道家ものだからそんなことは分かっている。
俺は拒否する。