数値による作品評価について

悪い意味で話題になっているコミログであるが今回これには触れない。
それよりも久しぶりにファミ通クロスレビューを見て日ごろ考えていることを少し書く。
俺は本や映像の感想を書いてきたが、何年か前から意識的に作品評価に数値を持ち込まないようにしている。10点満点で何点、星5つでいくつとかの評価法のことだ。best3、top10なども広義の数値化といえるかもしれない。
なぜ避けているかというと、数値化イコール共通化により成立する作品同士の比較というものは俺が思っている以上に困難なのではないかと感じ始めたからだ。
例えば数字の7は6より大きい。そうすると、7と評価した作品は6の作品よりも優れていることを意味することになる。
これを俺の内面世界において、厳密に行う自信が無い。行い続ける自信も無い。数値化を長く続ければ続けるほど齟齬をきたし矛盾が生じるだろう。
俺が作品の感想に於いて責任をもてるのは多く見積もって「今の俺は面白かった/面白くなかった」までだ。
こころの動きは俺の中にある。作品に感じた笑いも涙も怒りも絶望も俺の中にしかない。作品は一定不変でも私のこころは変わる。俺は豊かな作品を味わえるほどに豊かだろうか。
つまり評価は変わる、変わり得る、しかも容易に。眼前のたった一作品に対して好き嫌い面白いつまらないすら確立できないというのに、どの面下げて複数作品比較基盤である数値化などできようかの心意気。
また一方で、数値化された評価は他人に伝わりやすい。俺も購入を検討する際10点満点で何点をどのくらいの数のひとがつけているかを考慮する。上記の理屈を分かった上で数値評価を無視しない。7と評価された作品は6の作品よりも優れていることを意味するに違いないから、そちらに優先的に時間を割くだろう。数値評価は一言で済み、伝播効率が高い。
効率は高く、俺は自信が無い。
俺は作品評価に数値を持ち込まないようにしている。その方法はとても俺の手には負えない。
ひとは変化する。だから面白い。
数体系は変化しない。だから美しい。
適度に補完しあうのが良かろう。未来と過去のように。