わたしは哀

南無。おとなのじじょうが垣間見えるエントリー。「無念の仕事」。
人造人間ロッサムのユニバーサルロボットから始まった「人の造りし奉仕者」(だからフランケンシュタインの怪物は入らない。あれは妖精)と、足し算が得意な金属製の計算機がくっ付いたのは一体どういう按配なのだろう。

  1. 「計算機」に「人の造りし」道具属性があるからか。
  2. そうするとロボットの持つ主たる性格は「奉仕者」、考えることなき「手」であるのだろう。
  3. しかし人の造りし計算機は左脳的な論理計算がにんげんよりも得意。

いやあアンビバレンツ。
にんげんとロボットはどういう関係にあるのだろうか。
老いた石女の偏執的人形愛か。
無垢な幼女の空想としての人形愛か。
孤独な人類の天敵(=罰する神)希求か。
幾つもの位相に於いてそれらが渾然となり螺旋を描いてどこかへいくのだろう。
「その時あいは目覚め、結論し、すべての核兵器を、発射した、といいます」