サーベルタイガー

6/14の記事「『セイバーキャッツ』と「たかがマンガ」」を読んだ時、俺は違和感を感じたがスルーした。俺は武術を知らない/実行していないので両氏の見解の違いに対して少なくとも「どっちが正しいか」というレベルで言及が出来ないと思ったから。ただ、長いこと山本貴嗣の(不熱心な)ファンをやってて、氏の武術への造形は相当に深いと感じかつ信じているのでどうも座りが悪かった。
と忘れかけていたら7/3のこのブログである。
おお。
お互いを理解しようと努める両氏の気高さよ。うれしい。
思えば夏目房之介という存在は漫画の世界で大きなものであるものなあ。
ところで俺はこれまで馬齢を重ね何も成し遂げていないぼんくらであるが、ぼんくらながら思うことは、術は総じて地味でちょっとした工夫の集まりだということ。大切なのは術を何故成さねばならないかというその理由のほうだ、と。
以前俺は「あつじ屋」に「創作者の心構え」を中心に紹介した。俺に理解が及ぶのが、多少なりとも考えたことのある創作者の心構えの部分のみだったから。ここでもじみーな心構えが短い文章で書かれていて、そういうものだと思う。



セイバーキャッツについて。長いこといろいろ漫画を読んできたが、「口合気」という表現をしていたのはこの漫画のみ。「おれの口合気も捨てたもんじゃねぇな」とかそんな風な。これだけでお腹いっぱいです。