祝福王

今日はたかもちげん「祝福王」[Amazon]にしようか。
「おまえはだれだ」「私はすべてに従うものである」
おっとこの漫画についての感想が言葉にならないこと判明。まいったな。
付いて回る言葉は、気高さ。
愛も平和も説くことはない。
重視されるのは救済。
苦しむもの、と救い。
人はみな不幸で苦しんでいる、これが大前提。で、救われて心穏やかになる、と。
これだけ。大変シンプル。本来はこのくらいシンプルなもののはず、宗教は。
愛は救済のためのツールのひとつに過ぎないし、平和は救済がなされたと仮定したモデルケースの一例でしかない。んなもんにこだわるべきじゃない。
まあいい。
物語の前半は主人公が苦悩して七転八倒します。やけになったり迷惑かけたりします。にんげんだもの
妙なちからをもっていても、神様の生まれ変わりでも、血反吐はいてもがきまわるもんらしいです。
神様はそりゃ人間より上等ないきもんだろうけど、あんまり上等すぎると人間の苦しみは理解できないだろう。文字通り次元が違いすぎて。
だからにんげんにお節介焼くようなやつはうちらよりちょっとだけ上等。
後半で主人公はやっとどうすればいいかを思い出し(?)実践に移します。
いろんな人が救われます。なんというか、まっすぐになります。穏やかで強くなります。
最後に主人公はおのおの自力で何とか出来るからそうしなさいと教えてくれます。
ほえー
「おまえも我が面前で拳を止めよ」


しやわせなら宗教なんぞいらんのだ。科学にせよ経済にせよ文学にせよ、こういった宗教は胸を張って生きることに貢献してるのかということ。
眼を背けるな。おまえは弱く不幸だ。